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甲府地方裁判所 昭和33年(合わ)45号 判決

被告人 薬袋一雄

昭七・一・二五生 無職 外一二名

主文

被告人薬袋一雄を懲役二年六月に

被告人伊東功を懲役二年に

被告人堂谷甲子男を懲役一年に

被告人保坂光雄を懲役四年六月に

被告人藤田正敏を懲役一年に

被告人堂谷茂江を懲役一年に

被告人篠原正憲を懲役一年に

被告人田中寿仁を懲役十月に

被告人猪股和夫を懲役十月に

被告人清治夫を懲役十月に

被告人大沢資夫を懲役十月に

被告人清水一郎を懲役一年に

被告人宮川利長を懲役十月に

各処する。

未決勾留日数中各五十日を被告人等十三名の右各刑に算入する。

但し、この裁判確定の日から各四年間被告人藤田正敏、同篠原正憲、同田中寿仁、同猪股和夫、同大沢資夫に対する右各刑の執行を猶予し、同被告人等五名を保護観察に付する。

押収してある大工道具用くり小刀合計十一振(昭和三十三年地方押第五十五号の三、十)はこれを被告人薬袋一雄から、同九十四年式ブローニング拳銃一挺、同実包六発(前同押号の六、七)はこれを被告人伊東功から、同旧陸軍用十四年式拳銃一挺、同実包五発(前同押号の一、二)はこれを被告人保坂光雄から、同あいくち通称鎧通し一振(前同押号の四のうちの一振)はこれを被告人篠原正憲から、同黒鞘あいくち一振(前同押号の四のうちの一振)はこれを被告人猪股和夫から、同あいくち一振(前同押号の十一)はこれを被告人宮川利長から各没収する。

訴訟費用中被告人薬袋一雄、同篠原正憲の国選弁護人に支給した部分は当該被告人の各負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人薬袋一雄は、博徒田中一家(親分田中潤一)の幹部原田悦一を親分とした街の愚連隊原田一家の幹部をしていた者、被告人伊東功は右田中潤一の舎弟、被告人堂谷甲子男、同保坂光雄、同堂谷茂江、同宮川利長等は右薬袋一雄と親交のある街の愚連隊、被告人藤田正敏、同篠原正憲、同田中寿仁、同猪股和夫、同清治夫、同大沢資夫、同清水一郎等は薬袋一雄の子分で、いずれもパチンコ等をしながら徒食していた者であるが、

第一、昭和三十三年十月十二日夜甲府市池添町四十二番地山本アパートこと山本重直方二階に、原田悦一、被告人伊東功、同堂谷甲子男、同保坂光雄、同藤田正敏、同篠原正憲、同田中寿仁、同猪股和夫、同清水一郎等が会し、当日府中刑務所を出所した被告人薬袋一雄の放免祝が催されたが、席上話題がたまたま被告人薬袋一雄の服役不在中のことに及ぶや、期せずして、居合せた被告人等から、甲府市内に勢力を持つている街の愚連隊加賀美一家(親分加賀美章)の身内の者に屡々因縁をつけられて暴行脅迫を受け、剰え、最近に至つてはパチンコ店への出入さえも差し止められる等の迫害を加えられている旨の声が起り、交々その傍若無人の態度を訴えて憤慨し合つていたところ、突然、原田悦一が威儀を正し、「どうせ遊人になるならお山の大将にならねば駄目だ、それには加賀美章を眠らせて縄張りを取らねばならぬ、誰かやる奴はいないか」と改つた口調で切り出したので、一座はにわかに静まりかえり、暫時沈黙が続いたが、やがて、被告人保坂光雄、続いて、旧陸軍用十四年式拳銃を懐ろから取り出した被告人伊東功、更に、被告人清水一郎が順次名乗りを挙げるに及び、原田悦一も懐ろから九十四年式ブローニング拳銃を取り出して示しながら、被告人保坂光雄、同伊東功を殺害の直接実行者、被告人薬袋一雄をその総指揮者として指名し、ここに、加賀美章殺害の意を決した被告人薬袋一雄、同伊東功、同保坂光雄は原田悦一と共に、その場において鳩首協議を重ねた結果、来る十月十七日の甲府市制祭当日加賀美章方自宅附近に同人を待ち伏せ、前記拳銃で狙撃し、右計画成功の暁は、強姦致傷事件の被疑者として指名手配中の被告人保坂光雄が全責任を背負つて自首すること、なお、被告人伊東功、同保坂光雄は右計画の露顕頓挫を防ぐため別行動をとること等を決定すると共に、被告人薬袋一雄は、右加賀美章殺害後に予想される加賀美一家の身内の者達の復讐のための殴り込みに対抗するため同志を糾合すべく決意し、他方、同所に居合せた爾余の被告人等は、被告人薬袋一雄に協力して加賀美一家の復讐を迎撃し、同人等の勢力を一挙に駆逐しようと考えるに至り

(一)  被告人薬袋一雄、同伊東功、同保坂光雄等は、前記のとおり、加賀美一家の縄張り奪取のため加賀美章の殺害を共謀の上、同月十七日午後十時頃同市久保町二十八番地右加賀美章方自宅附近において、旧陸軍用十四年式拳銃(昭和三十三年地方押第五十五号の一)を携えた被告人保坂光雄、九十四年式ブローニング拳銃(前同押号の六)を携えた被告人伊東功両名が張り込み、もつて、同人殺害の機会を窺つたが、同人が現われなかつたため当夜は引き揚げ、翌十八日頃同人方近くの田中寿仁止宿先において被告人薬袋一雄と会し、来る二十日、かねての予定を変更し、加賀美章が経営する加賀美建設株式会社の事務所附近において、同人の出勤途上を襲つて狙撃する旨謀議し、同月二十日午前九時頃同市山田町二十五番地前記事務所近くの旅館に待機中、同人現わるとの報告に接し、急遽拳銃を携え右事務所前に駆けつけたが、既に同人の姿はなく、続いて、同月二十五日頃前記山本アパートにおいて被告人薬袋一雄と会し、来る二十七日重ねて右事務所前附近において同人を待ち伏せ狙撃する旨謀議し、同月二十七日午前九時頃右事務所東側道路上において、拳銃を携えて張り込み、もつて、同人殺害の機会を窺つて殺人の予備をなし

(二)  被告人薬袋一雄は、前記のとおり、同志多数を自己の傘下に糾合し、同人等と共同して加賀美一家の身内の者による復讐のための殴り込みを迎撃し、その身体に害を加える等してこれを撃退しようと企て、同月十八日頃、同月十九日頃の二回にわたり兇器である大工道具用くり小刀合計十一本(前同押号の三、十)を買い集めさせて前記山本アパート二階に準備し、同月十八日頃から同月二十七日までの間、就中、加賀美章の殺害決行当日である同月二十日、同月二十七日右山本アパート二階に自己と意を同じくし、あいくちを携えた猪股和夫、田中寿仁、宮川利長外堂谷甲子男、藤田正敏、堂谷茂江、篠原正敏、清治夫、大沢資夫、清水一郎等を集合させ、同人等に右くり小刀を分配する等した上同所に待機させ、もつて兇器準備結集をなし

(三)  被告人堂谷甲子男、同藤田正敏、同堂谷茂江、同篠原正憲、同田中寿仁、同猪股和夫、同清治夫、同大沢資夫、同清水一郎、同宮川利長は共同して、前記のとおり、薬袋一雄と共に加賀美一家の身内の者による復讐のための殴り込みに対抗し、同人等の身体に害を加える等してこれを撃退し、もつて、その縄張りをも奪取しようと企て、あいくち(前同押号の四、十一)を携え、或は兇器の準備してあることを知つて、同月十八日頃から同月二十七日までの間、就中、同月二十日、同月二十七日前記山本アパート二階に集合し、前記大工道具用くり小刀の分配を受ける等して復讐に備え、もつて、それぞれ兇器準備集合をなし

(四)  前記殺人予備、兇器準備集合等に際し、法定の除外事由乃至は業務その他正当な事由がないにもかかわらず

(イ) 被告人薬袋一雄は、同月二十八日頃前記山本アパートにおいて、伊東功から九十四年式ブローニング拳銃一挺(前同押号の六)を受け取り、これを同アパート階段下に隠匿所持し

(ロ) 被告人伊東功は、同月二十七日午前九時頃前記加賀美建設株式会社事務所附近道路上において、加賀美章狙撃のため、九十四年式ブローニング拳銃一挺(前同押号の六)を所持し

(ハ) 被告人保坂光雄は、前同日前同所において、加賀美章狙撃のため、旧陸軍用十四年式拳銃一挺(前同押号の一)を所持し

(ニ) 被告人猪股和夫は、同月十六日頃、前記山本アパートに赴いた際、同所において刃渡約十二糎の黒鞘あいくち一振(前同押号の四のうちの一振)を所持し

(ホ) 被告人田中寿仁は、同月十九日頃、前同所に集合した際、通称鎧通しと言われる刃渡約十五糎のあいくち一振(前同押号の四のうちの一振)を持参してこれを所持し

(ヘ) 被告人宮川利長は、前同日頃前同所に集合した際、刃渡約二十糎のあいくち一振(前同押号の十一)を持参してこれを所持し

(ト) 被告人藤田正敏は、同月十八日頃、前記加賀美一家の復讐対抗の準備のために、薬袋一雄の依頼を受け、同市内の金物店から刃渡約十二糎のあいくち類似の大工道具用くり小刀六振(前同押号の三、十のうち六振)を買い集めてこれを携帯し

(チ) 被告人篠原正憲は、同月十九日頃、前同趣旨の下に薬袋一雄の依頼を受け、同市内の金物店から刃渡約十二糎のあいくち類似の大工道具用くり小刀五振(前同押号の三、十のうち五振)を買い集めてこれを携帯し

(リ) 被告人田中寿仁は、同月二十日頃前記山本アパートにおいて加賀美一家の復讐に備えて待機中、薬袋一雄から前記あいくち類似の大工道具用くり小刀一振を受け取つてこれを携帯し

(ヌ) 被告人猪股和夫は、前同日前同所において、前同様薬袋一雄から前記あいくち類似の大工道具用くり小刀一振を受け取つてこれを携帯し

(ル) 被告人清治夫は、前同日前同所において、前同様薬袋一雄から前記あいくち類似の大工道具用くり小刀一振を受けとつてこれを携帯し

(ヲ) 被告人清水一郎は、前同日前同所において、前同様薬袋一雄から前記大工道具用くり小刀一振を受け取つてこれを携帯し

(五)  被告人宮川利長は、同月二十五日頃前記山本アパートを訪れた加賀美一家の元舎弟村田忠彦(当時二十四歳)を、加賀美側の指図で事情偵察に来たものと速断し、同人を近くの同市上一条町所在の琢美小学校校庭に連行した上、同所において履いていた下駄で同人の顔面、頭部等を殴打する等の暴行を加え

第二、被告人保坂光雄は、同年五月三十日夜友人の原田勝利、石川康彦と共に同市富士川町所在の富士川小学校において催された踊りを見物に赴いたところ、友人の影山五郎外数名がA(当時十五歳)を誘つて同市愛宕町長禅寺山地内へ連れ込んだことを聞知し、直ちに同人等の後を追つて同所に至り、午後十時過頃同所において、原田勝利等が虚言を弄して傍の堀口松吉所有の葡萄園に待たせておいた同女を石川康彦、原田勝利、影山五郎、伊藤倫治、伊藤厚司、丹沢勇雄、可児明行等と共に輪姦しようと共謀し、同女をその場に仰向けに引き倒した上顔面に布を覆せ、手足を押えて着衣を脱がす等の暴行を加え、その反抗を抑圧した上、原田勝利、石川康彦、影山五郎、伊藤倫治、伊藤厚司、丹沢勇雄、可児明行等に続いて同女の上に乗りかかり、原田勝利、可児明行等が姦淫の目的を遂げたが、その際右暴行により同女の右臀部数個所に全治約三日間を要する擦過創の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(累犯となるべき前科)

被告人薬袋一雄は、昭和二十八年十二月十七日甲府簡易裁判所において、住居侵入、窃盗罪により懲役十月に、昭和三十二年十二月十九日甲府地方裁判所において傷害罪により懲役六月に各処せられ、前者は昭和二十九年十月二十三日、後者は昭和三十三年十月十一日各刑の執行を受け終り

被告人保坂光雄は、昭和二十六年十二月二十六日甲府地方裁判所において、殺人未遂罪により懲役三年(後二年三月に減軽)に処せられ、昭和二十九年三月二十五日右刑の執行を受け終り

被告人堂谷茂江は、昭和三十一年五月二十三日長野地方裁判所伊那支部において、傷害罪により懲役六月、三年間執行猶予に、昭和三十一年八月八日同裁判所において、傷害罪により懲役六月に各処せられ、右執行猶予を取り消された上本件犯行前以上両刑を併せて執行を受け終り

被告人清水一郎は昭和二十九年十月十二日甲府地方裁判所において、窃盗、横領、業務上横領罪により懲役一年六月、四年間保護観察付執行猶予に、昭和三十年一月二十四日同裁判所において、詐欺罪により懲役十月に各処せられ、右執行猶予を取り消された上本件各犯行前以上両刑を併せて執行を受け終り、その後、昭和三十二年十一月二十七日甲府簡易裁判所において、窃盗罪により懲役十月に処せられ、昭和三十三年九月二十六日右刑の執行を受け終つた

もので、このことは、検察事務官作成の被告人薬袋一雄、同保坂光雄、同堂谷守衛(茂江)、同清水一郎の各前科調書の記載により明らかである。

(確定裁判を経た罪)

被告人宮川利長は、昭和三十三年十一月六日甲府簡易裁判所において、暴行罪により罰金二千円に処せられ、右裁判は昭和三十四年二月四日確定したものでこのことは検察事務官作成の昭和三十四年三月十四日附被告人宮川利長の前科調書の記載により明らかである。

(法令の適用)

判示所為中、第一の(一)の殺人予備の点は刑法第二百一条、第六十一条に、同(二)の兇器準備結集の点は同法第二百八条ノ二第二項に、同(三)の兇器準備集合の点は同法第二百八条ノ二第一項、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、同(四)の(イ)乃至(ヘ)の各銃砲刀剣類等所持取締法違反の点は各銃砲刀剣類等所持取締法第三条第一項、第三十一条第一号、罰金等臨時措置法第二条に、同(四)の(ト)乃至(ヲ)の各銃砲刀剣類等所持取締法違反の点は各銃砲刀剣類等所持取締法第二十二条、第三十二条第一号、罰金等臨時措置法第二条に、同(五)の暴行の点は刑法第二百八条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、第二の強姦致傷の点は刑法第百八十一条、第百七十七条、第六十条にそれぞれ該当するから、判示第一の(三)乃至(五)の各罪については、当該各被告人等に対し各懲役刑を、判示第二の罪については被告人保坂光雄に対し有期懲役を各選択し、被告人薬袋一雄、同保坂光雄、同堂谷茂江、同清水一郎には前示累犯前科があるから、被告人薬袋一雄の判示第一の(一)、(二)、(四)の(イ)の各罪の刑、被告人清水一郎の判示第一の(三)、(四)の(ヲ)の各罪の刑について、それぞれ同法第五十六条第一項、第五十九条、第五十七条により累犯の加重をなし、被告人保坂光雄の判示第一の(一)、(四)の(ハ)、第二の各罪の刑、被告人堂谷茂江の判示第一の(三)の罪の刑について、同法第五十六条第一項、第五十七条、なお被告人保坂光雄の判示第二の罪については同法第十四条の制限に従つて、それぞれ再犯の加重をなし、以上、被告人薬袋一雄の前記三罪、被告人伊東功の判示第一の(一)、(四)の(ロ)の二罪、被告人保坂光雄の前記三罪、被告人藤田正敏の判示第一の(三)、(四)の(ト)の二罪、被告人篠原正憲の判示第一の(三)、(四)の(チ)の二罪、被告人田中寿仁の判示第一の(三)、(四)の(ホ)、(リ)の三罪、被告人猪股和夫の判示第一の(三)、(四)の(ニ)、(ヌ)の三罪、被告人清治夫の判示第一の(三)、(四)の(ル)の二罪、被告人清水一郎の前記二罪は各同法第四十五条前段の併合罪であるから、各同法第四十七条本文、第十条により、それぞれ重い、被告人薬袋一雄については判示第一の(二)の罪の刑に、被告人伊東功については判示第一の(四)の(ロ)の罪の刑に、被告人保坂光雄については判示第二の罪の刑に同法第十四条の制限に従い、被告人藤田正敏については判示第一の(三)の罪の刑に、被告人篠原正憲については判示第一の(三)の罪の刑に、被告人田中寿仁については判示第一の(四)の(ホ)の罪の刑に、被告人猪股和夫については判示第一の(四)の(ニ)の罪の刑に、被告人清治夫については判示第一の(三)の罪の刑に、被告人清水一郎については判示第一の(三)の罪の刑にそれぞれ法定の加重をなし、被告人宮川利長の判示第一の(三)、(四)の(ヘ)、(五)の各罪を前示確定裁判を経た罪と同法第四十五条後段の併合罪であるから、同法第五十条により未だ裁判を経ない前記三罪について処断すべく、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条により重い判示第一の(四)の(ヘ)の罪の刑に法定の加重をなし、以上各刑期並びに被告人堂谷甲子男、同堂谷茂江、同大沢資夫については各判示第一の(三)の刑期範囲内において、被告人薬袋一雄を懲役二年六月に、被告人伊東功を懲役二年に、被告人堂谷甲子男を懲役一年に、被告人保坂光雄を懲役四年六月に、被告人藤田正敏を懲役一年に、被告人堂谷茂江を懲役一年に、被告人篠原正憲を懲役一年に、被告人田中寿仁を懲役十月に、被告人猪股和夫を懲役十月に、被告人清治夫を懲役十月に、被告人大沢資夫を懲役十月に、被告人清水一郎を懲役一年に、被告人宮川利長を懲役十月に各処し、同法第二十一条により、未決勾留日数中各五十日を被告人等十三名の右各刑に算入し、同法第二十五条第一項により、この裁判確定の日から各四年間被告人藤田正敏、同篠原正憲、同田中寿仁、同猪股和夫、同大沢資夫に対する右各刑の執行を猶予すると共に、同法第二十五条ノ二第一項前段により同被告人等五名を保護観察に付し、押収してある大工道具用くり小刀合計十一本(昭和三十三年地方押第五十五号の三、十)は、判示第一の(二)、(三)、(四)の(ト)乃至(ヲ)各罪の組成物件、同九十四年式ブローニング拳銃一挺、同実包六発(前同押号の六、七)は判示第一の(一)の罪の供用物件乃至は判示第一の(四)の(イ)、(ロ)各罪の組成物件並びにその従物、同旧陸軍用十四年式拳銃一挺、同実包五発(前同押号の一、二)は判示第一の(一)の罪の供用物件乃至は判示第一の(四)の(ハ)の罪の組成物件並びにその従物、同あいくち通称鎧通し一振(前同押号の四のうちの一振)は判示第一の(二)、(三)、(四)の(ホ)各罪の組成物件、同黒鞘あいくち一振(前同押号の四のうちの一振)は判示第一の(二)、(三)、(四)の(ニ)各罪の組成物件、同あいくち一振(前同押号の十一)は判示第一の(二)、(三)、(四)の(ヘ)各罪の組成物件にして、いずれも当該関係被告人等以外の者に属しないから、同法第十九条第一項第一号乃至第二号、第二項により、主文掲記のとおりそれぞれ没収し、訴訟費用中、被告人薬袋一雄、同篠原正憲の国選弁護人に支給した部分については、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により、主文掲記のとおり、これを右被告人両名の各自負担とし、被告人伊東功、同保坂光雄、同清治夫、同清水一郎については、同法第百八十一条第一項但書により、いずれも訴訟費用を負担させないことにする。

(補足)

本件公訴事実中

被告人薬袋一雄、同伊東功、同保坂光雄等が共謀の上殺人の予備をしたとの点について考えてみると、日時場所等を異にし、前後三回にわたり、それぞれ拳銃を携えて加賀美章を待ち伏せ、同人殺害の機会を窺つたことは判示第一の(一)認定のとおりであるが、右は昭和三十三年十月十二日前記山本アパートにおいてした殺害計画を遂行するための一連の行為と評価すべきものであるから、包括して一罪をなすものと認定する。

次に、被告人伊東功、同保坂光雄が、薬袋一家の者と共同して加賀美章を殺害する目的で同年十月十七日頃、同月二十日頃、同月二十七日頃拳銃を携えて前記山本アパートにそれぞれ集合したとの点について考えてみると、なるほど、被告人両名がその日頃山本アパートに赴いたと認むべき証拠は存しないではない。しかしながら、本件においては、被告人薬袋一雄、同伊東功、同保坂光雄が加賀美章殺害の決意をし、それに副う行動をとつたのに対し、爾余の被告人等においては、同人が被告人伊東功、同保坂光雄等によつて殺害されることを望んでいたことは勿論であるが、さりとて、自らこれを実行する決意は毛頭なく、専ら、同人殺害後における同人の身内の者による復讐に対抗するために集合したものであり、従つて、両者の間には加賀美一家の縄張り奪取と言う点においてその目的が一致しているが、刑法第二百八条ノ二第一項に言う「害ヲ加フル目的」たる対象の点においては全然別個のものである。しかして、その差異が偶然的な分担の相違に由来するものではなく、より本質的なものであると言うことは、被告人薬袋一雄、同伊藤功、同保坂光雄の殺害計画は既に十月十二日夜山本アパートにおいて確固として成立していたものに対し、爾余の被告人等においては、復讐に対抗するとの漠然たる決意乃至はそれに基いて徒党を組む行動は同日頃からあつたにせよ、現実に同条に言う兇器準備集合罪の形をとつたのは、同月十八日頃加賀美側において猟銃を準備したとの情報に接し、大工道具用くり小刀を購入するに至つた同日頃からであることを考えれば自ら明らかである。更に、被告人伊東功、同保坂光雄の同月十二日夜以降の行動を概観するに、計画露顕による頓挫を極力避けるため、爾余の被告人等とは常に別行動をとり、市内の旅館に転々宿泊することを旨とし、山本アパートに赴かないよう心掛けていたことが窺われる。そうだとすれば、被告人伊東功、同保坂光雄が、たまたま爾余の被告人等の集合していた山本アパートに赴いたからとて、直ちに、同条に言う集合をしたものと解するわけにはゆかない。そこで、被告人伊東功、同保坂光雄が山本アパートに赴いた経緯について考えてみると、それは、既になされていた殺害計画について、被告人薬袋一雄とより具体的詳細な打ち合せをするために外ならず、結局、右は本件殺人予備の一端を担うは格別、未だ、同条に言う兇器準備集合には問擬し得ないものであり、更に、加賀美章方自宅附近や加賀美建設株式会社事務所附近において待機していたことについても、右と同一に解すべきものである。従つて、被告人伊東功、同保坂光雄に対しては、いずれも兇器準備集合罪を認定するに足る証拠なく、有罪の認定をしないが、兇器準備集合罪と殺人予備罪とは観念的競合をなす場合に該当するから、主文において特に無罪の言渡をしない。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 兼平慶之助 内藤正久 小酒禮)

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